七夕の由来


七夕の由来

七夕の歴史

日本の伝統行事と中国の風習がひとつに

七夕は古来から行われていたお盆の神事「棚機(たなばた)」と、織姫彦星の伝説と、中国から伝来した「乞巧奠(きっこうでん・きこうでん)」風習が融合したと考えられています。

 

乞巧奠とは女性が針仕事の上達を願う行事で、奈良時代から宮中で行われていたとされています。七夕の夜に女性たちが金銀7本の針に五色の糸を通し、織女に果物などのお供えを捧げて、裁縫や染物、織物などが上手になるように願いました。

 

織姫彦星の伝説は庶民の間にも伝わっていたとみられ、万葉集には山上憶良や大伴家持などの歌人のほか、読み人知らずの七夕の歌も数多く収められています。

 

 

平安時代には庭にお供えをして、星を眺めながら音楽を奏で、詩歌を楽しむ宴を楽しむ行事になりました。里芋の葉にたまった露を「天の川のしずく」と呼んで、その水で墨を溶かして和歌を書いて願掛けをしたと言われています。この頃には手芸だけでなく、音楽や歌舞、詩歌などのさまざまな芸事の上達も願われるようになりました。

 

 

庶民の行事になったのは江戸時代

七夕が庶民の間に広まったのは、五節句を公的な祝日に定めた江戸時代から。五節句は年中行事としてだけでなく、庶民の大好きな祭としても全国的に普及し、季節ごとの楽しみとして根付いていきました。

 

江戸時代の七夕は、宮中の行事にならって季節の野菜や果物を供え、手習い(書道)や詩歌の上達などの願いを短冊に書いて笹竹につるし、星に祈る祭だったといわれています。
現在私たちが行っている七夕の習慣は、この頃に確立されたと考えられます。




日本にある七夕物語

さて、日本で七夕の伝説としてメジャーな織姫と彦星の話は中国から伝わったものですが、日本にも七夕物語があるんですよ。いくつか紹介しますね。

 

「漁師ミケランと天人女房」

織姫と彦星
ある日のこと、若い漁師ミケランが森の池のそばを通りかかると、さわやかな水音が聞こえてきました。不思議に思って、松の木の枝越しにそっと覗くと、美しい天女が、人知れず水浴びをしていました。

 

ふと気付くと、美しい羽衣が松の木の枝にかけてあります。
ミケランは、そっとその羽衣を隠してしまいました。

 

「羽衣がなくては、私はもう天に帰ることができません。私をあなたのお嫁さんにしてください。」
天女はこうしてミケランの女房となり、二人の子供をもうけたのでした。

 

そんなある日、天人女房は子供たちが口ずさむ、不思議な歌を耳にしました。

 

「お蔵のお米の下にきれいなおべべ、玉虫色に光ってとってもいい匂い」

 

天人女房は、夫のミケランが隠していた「飛衣(とびきん)」と「舞衣(まいきん)」の羽衣を見つけ出すと、二人の子供を連れ、置手紙をして、天に帰って行きました。

 

 「あなたは重くて、連れて行くことができません。人間が天にのぼるには、わらじを千足、土の中に埋め、そこへ竹の子を植えると天に届きます。
それを伝って来てください」

その後のミケラン

ミケランは2年がかりで千足のわらじを作ると、お寺の庭の穴に埋め、その上に竹の子を植えました。
すると、竹の子はたちまちてっぺんが雲の中に隠れてしまうほどの高さになりました。

 

ミケランが竹の子を登って行くと、どうしたわけか、あと一歩のところでどうしても天に届きません。千足作ったつもりのわらじが、あと一足たりなかったからでした。

 

そこへ、後から登ってきたミケランの飼い犬のシロが、雲にひょいと前足をかけてぶら下がると、尻尾をたらして言いました。
「私の背中をよじ登ってください」

 

こうして、やっとの思いで天に登ることができたミケランは、天人女房や子供たちと抱き合って喜び合いました。

 

「おまえが私の娘の夫か。さて、天人にふさわしい男がどうか、試してみることにしよう」
ミケランが驚いて振り返ると、その声の主は、天人女房の父の天帝でした。

 

天人女房はあわててミケランに、そっと耳打ちして言いました。

 

「天上では、なんでも横に切って食べます。その食べ方がテストなのですよ。」
そこでミケランは、出されるご馳走をみんな横に切って食べました。
「ウリくらいは、縦に切って食べたらよかろう」という天帝のことばに、ミケランはうっかりウリを縦に切ってしまいました。

 

そのとたん、ウリから水がどっと溢れ出し、みるみるうちに大きな川の流れとなってしまいました。

 

ミケランと天人女房や子供たちは、その川の両岸に引き離されてしまいました。
天帝はおごそかに「娘や子供たちとは、川の両岸に別々に住んで、年に一度、七月七日の夜だけ会うことにするのじゃ」と言いました。

 

こうして、ミケランは「彦星」に、天人女房は「織姫」になって、二人の子供を連れ、天の川を隔てて、瞬きあうことになったのだと言われています。

 

 

次は、室町時代の物語を集めた「御伽草子」の中にある、七夕の始まりのようなお話です。

 

 「天稚彦をたずねて天にのぼった長者の娘」

ある日のこと、三人の美しい娘をもつ長者の家に、突然大きな蛇があらわれ、長者に手紙を届けてよこしました。驚いて長者が手紙を開くと、「娘を三人ともいただきたい。よこさなければ、親娘ともどもとり殺す」と書いてありました。

 

長者夫婦があまりの災難に泣きながら、娘たちに事のしだいを打ち明けると、「とんでもないことです」と上の二人の娘はすぐに断りました。けれども、末娘は「父上、母上を見殺しにするわけにはいきません。私がまいります。」と言いました。

 

両親は涙ながらに、池のそばに釣殿を立てました。末娘をそこに送り届けた人々は、末娘を釣殿に置き去りにすると、みな急いで逃げ帰りました。

 

やがて、稲光や雷鳴がとどろくと、池の波がにわかに盛り上がって、見るも恐ろしげな大蛇が姿をあらわしました。ところが、大蛇は思いもよらず、優しい言葉で娘に「何も恐れることはない。

 

刀を持っていたら、私の頭を切りなさい。」と言いました。娘が恐る恐る言われたとおりにすると、なんと、中から立派な貴公子が姿をあらわしたのです。

 

娘は貴公子と結ばれ、それからというもの、仲睦まじく、なにひとつ不自由のない夢のような日々が続きました。ところが、ある日、貴公子が初めて自分の招待を打ち明けて言いました。「私は海底に住む海竜王の天稚彦(あめわかひこ)です。急用で天にのぼらなくてはならなくなりました。

 

もし、三週間経っても帰らなければ、西の京のはずれに一夜杓を持っている女の人がいます。その人からそれを譲ってもらい、その一夜杓に乗って天にのぼってきなさい。それから、ここにある唐びつは、とても大切な品が入っています。

 

どんなことがあっても開けてはなりません。

 

開けると私は二度と戻ってこれなくなります。」天稚彦がそう言い残して天にのぼると、二人の姉がやってきて、妹の幸福そうな様子を見ながら、「私たちは怖がって損をしたわ」と言い、調度品や着物をいじりまわし、挙句の果てに妹から鍵を奪って、むりやり唐びつの中を覗き込んでしまいました。唐びつの中からは白い煙が立ちのぼっただけで何事もなく、姉たちは文句を言いながら帰っていきました。

 

待ち焦がれている天稚彦からは、三週間経っても何の音沙汰もありません。娘はとうとう我慢しきれず、西の京のはずれに女の人を尋ね、一夜杓を譲り受けました。

 

その一夜杓は、一晩でのびるウリのつるで、娘はそのつるに乗って天上に上りはじめました。

 

天上では、どこをどう行けば、恋しい天稚彦に会えるのかわかりません。

 

そこで行き会う天上の星ぼしに道を尋ねました。しかし、宵の明星も、ほうき星も、すばる星も、みんな「あとから来る人に聞いてごらん」と答えるばかりでした。
ただ、幸いにも最後に出会った明けの明星が、天稚彦の居所を知っていて、丁寧に教えてくれました。

 

こうして娘と天稚彦は再び会うことができ、前にも増して仲睦まじく、固く結ばれたのでした。ところが、天稚彦の父というのが、なんと、恐ろしい鬼で、ある日のっそり姿をあらわすと、鼻をくんくんならし、怪しんで言いました。

 

「人くさいにおいがするぞ」

 

それからというもの、天稚彦は、父親の鬼があらわれるたびに、娘を扇や枕の姿に変え、ごましていました。

 

もちろん、鬼おやじは益々疑い深くなるばかりです。

 

そして、ある日、天稚彦が昼寝をしているとき、突然やってきて、娘を見つけて怒鳴りました。「息子の好きな娘というのなら、嫁にふさわしいかどうか、ひとつ試してみようじゃないか」鬼おやじは、まず牛小屋にいた千頭の牛を野に放し、「夜までに残らず、牛小屋に戻せ」と言いつけました。

 

とても娘にできる仕事ではありません。娘が困り果てていると、天稚彦は衣の袖をといて、娘に与えました。
「天稚彦の袖、天稚彦の袖といいながら振りなさい」という天稚彦の言いつけを守り、その通りにすると、牛はすぐにおとなしく牛小屋に入りました。

 

 「次は、倉の米を一粒も残さず、別の倉に移すのじゃ」と鬼おやじが次の言いつけをしました。

 

娘がまた天稚彦の袖を振ると、無数のアリがぞろぞろあらわれ、一粒残さず運び入れてくれました。さらに鬼おやじは、さらに娘を、蛇やムカデがうようよいる部屋に閉じ込めたりしましたが、娘が天稚彦の袖を振ると、みんなおとなしくなり、娘は無事でした。

 

さすがの鬼おやじも感心しました。
「しかたない。おまえを息子の嫁にしてやろう。だが、二人が会うのは一月に一度だけだぞ。よいか」と言いました。

 

ところが、娘がうっかり聞き間違え、「一年に一度だけですね」と聞き返してしまいました。すると鬼おやじはそ知らぬ顔で、「おう、そうそう。一年に一度だけだ」と答えました。そして手に持っていたウリを投げつけました。

 

ウリの中からは、どっと水が流れ出して天の川となり、二人の間を隔ててしまいました。こうして天稚彦は彦星に、娘は織女となって、年に一度、七月七日の七夕の夜だけ会うことになったのだと言われています。

 

あまり聞いたことはありませんでしたが、日本にもちゃんと七夕にまつわるお話があったんですね。ちなみに「漁師ミケランと天人女房」は奄美大島に伝わるお話でした。

 

日本の七夕にまつわるお話も、ギリシャ神話や外国に伝わるお話も、みんな愛し合う二人がバラバラになってしまうというところは同じですね。

 

天の川が障害になっていて、どうにかして会いに行こうとするところは共通しています。ヨーロッパでは、天の川を天上界につながる橋や道にみたてることが多かったようですね。

 

日本でも、旧暦の七月七日の夜空に浮かぶ上弦の半月を、船の形にそっくりだということから、天の川の渡し守りといわれています。

 

織姫と彦星が会うために必要な船なのに、この渡し守りはちょっといじわるで、天の川の南の離れたところにいて、織姫と彦星を渡してくれないのだと言われています。

 

こんなお話がたくさんあるおかげもあって、子供の頃から夜空を見上げると、星空にとてもロマンを感じていました。